着流しに(天蓋)独特な深編笠をかぶり、尺八を吹きながらさまよう怪しげな僧、そう虚無僧の姿。時代劇などでも馴染みが深い。戦後〜21世紀になり見かけなくなったが、かつて日本のほぼ全土を経巡っていた異形の乞食僧であった。ルーツは臨済の系統に属し、唐の禅僧・普化を開祖としている為に普化宗と呼ばれた。
普化は臨済門下の奇僧で(鐸=たく)と呼ばれる鈴を持ち歩き、人に会うたびにその鈴を耳元で振って喜捨を求めた。 日本の虚無僧の元祖は東福寺の覚心である。入宋し尺八禅の印可を受けた覚心は、帰国後和歌山県の由良にある興国寺に普化庵を開いた。これが日本普化宗の始まり。
普化禅の流れ
江戸時代の最盛期には18派140寺院に及んだ。他宗派の禅僧と異なり、普化の禅僧(虚無僧)は坐禅をしないで、ひたすら尺八吹奏に終始する。江戸幕府は武士以外の一般民の普化宗加入(虚無僧)を禁止した。勢力を拡大した虚無僧には諸国往来自由などの特権を与えた。
普化の禅
坐禅をしない虚無僧の禅は特徴的で、江戸時代には格好だけ真似て喜捨を強要する【徒食渡世の輩】が増加、又、仇討ち目的浪人の隠れ蓑になった為に、幕府は特権を剥奪したという事件もある。
さらに明治4年、新政府は普化宗そのものを禁止した。昭和25年には善慧院(覚心ゆかりの東福寺塔頭)所属の普化正宗明暗寺として宗教法人となった。法脈はかろうじて保たれたとはいえ、かつての面影はない。