家康は関東支配当初から古里名刹を大切にし、
大中寺・総寧寺・龍穏寺 を特別に扱った。
天正19年(1591)に大中寺(栃木県・大平町)
を関八州曹洞宗僧録職に任じた。さらに慶長17年
(1612)に大中寺は天下大僧録職をも賜った。
(僧録とは寺院及び禅僧を管理・統括する役職)
総寧寺(千葉)龍穏寺(生越)とともに
幕府の命により全国約15000の曹洞宗寺院を統括。
僧録の務める関東の三つの寺は関三箇寺、或いは関三刹とも称す。
大中寺、龍穏寺は100石、総寧寺は128石の寺領を受けて
いた。 これも別格 大中寺開山五百年記念誌より抜粋
大中寺の歴史 詳細調査中