美濃清泰寺の仙崖義梵和尚、めでたい言葉を乞われて書いた。
和尚は筆をとり「祖死父死子死孫死」と書いた。
頼んだ人、これはひどいと言うと・・・義梵和尚は微笑んで、なにが縁起悪い
【この順番に順序正しく死んでいけば家中に若死はいない。】と答える
こうした臨機応変、当意即妙の境涯に、禅のおもしろみがある。
書は人なりという 禅は書は「有声の画」と言い、禅画のほうは「無声の詩」とも言う。
書に接したらそこに全体の画をつかまえ、禅画を見たら、そこに言外の詩を読み取る。
良寛は、嫌いなものとして「詩人の詩・書家の書・料理人の料理」と言ったという。
作為は知を刺激はしても、こころをうたない。
ただし仙崖のようにわざと作為を突きつけるのも禅。 禅僧は なかなか人が悪い。