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【見 る】(剣禅一如 武道家)



東洋的な無の真髄のたとえ

  「弓を的に当てるのではなく、
   矢が勝手に的に当たってゆく」

弓聖 阿波研造のお言葉
「的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。
すると的は私のほうに近づいてくるように思われる。
・・・的と私が一体になるならば、
矢は有と非有の不動の中心にある。」

古くから禅と武道の関係は極めて深く、
とりわけ剣に道を求めたものの多くは禅門を叩く。

宮本武蔵・柳生流元祖の柳生宗矩

明治時代の剣聖(山岡鉄舟)など、

日本の武道を武術と呼ばず「道」なのは、
この禅的な思想によるところが大きい。

 こころで見よ の事



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