天台宗

戻る 伝教大師最澄

伝教大師最澄は神護景雲元年(767)近江の国に生。初め近江国分寺で仏学、15歳で得度。19歳の時東大寺で正式の僧の資格を取る。延暦4年(785)、比叡山に入って修行を重ね、3年後ここにお寺を開く。当時は比叡山寺と称すも後に年号から延暦寺と呼ばれる。

延暦23年(804)桓武天皇の命により中国に渡り、天台山に学び密教にも触れて帰国。その後は比叡山で僧の学習システムを確立。続いて帰国した若き僧空海に正統な評価をして重用するよう天皇に進言。更にはその自分より若い空海に弟子入りして密教を再度習うなどプライドに固執しない良き仏教者だった。

最澄が日本の仏教界の基礎を確立。それ故に伝教大師の諡名が贈られた。


慈覚大師円仁

伝教大師が伝えた天台宗の、教義不足部分を補ったのが円仁。

円仁は延暦13年(794)下野の生まれ。最澄に師事し中国に渡り10年かけて密教の勉強をした。円仁によって日本天台宗の理論は確立した。

慈覚大師は東国の生まれ、東北地方で多くの寺を開山。日本三大霊場のひとつ恐山、奥州藤原家で有名な平泉の中尊寺、芭蕉の「しづけさや岩にしみいる蝉の声」の句で有名な山形の立石寺(通称・山寺)など。


慈眼大師天海

天海は日光東照宮を作った僧として有名。徳川家康から家光までの3代の将軍に仕えた。

家康が亡くなった時、比叡山ゆかりの山王一実神道で祀ることを主張。これが認められ日光東照宮が作られた。「日光」とは「二荒」に当て字したもので「二荒」は元々は「ふたら」。観音様のいる補陀洛浄土(ふだらくじょうど)のこと。そして山王とは比叡山の守り神・大山咋神のこと。

天海上人の生年は定かではないが、かなりの長寿であったようだ。


天台宗の教義

日本天台宗は分類上は密教。しかし密教の要素だけではなく、法華経の要素や禅の要素も含んでいる。故に仏教のあらゆる面を網羅した宗派とも言われる。実際問題として天台宗における法華経の位置は重要で、このため天台宗では法華経を重視した聖徳太子をその元祖とみなしている。

基本的には法華経を基礎とし+中国天台の密教と戒+禅宗の修行体系を加えた教え。

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