花に関する禅語にはいくつか有名なものがある。
「美しく咲き乱れる春の花はいったい誰の為に咲くのか」という問いかけ
一見なにげない普通の問いかけだが、実はとても奥深い心理を突いている
ここに書くまでもなく、花は誰の為でもなく、ただ無心に咲くだけ
良寛の詩に『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』とある
大自然に和して、ただありのままに咲くからこそ花は美しい
無心とは、心が無いという意味でなく【ありのまま、自然のまま】が無心
自然の法則のままに今この時をただひたすらに生きる。それが無心
ところが、悲しいかな人間には自我意識があり、無心に生きることができない
身勝手な期待・思惑を抱いて、あれこれ嘆いたり喜こんだりしてしまう
花を花たらしめている不思議にして偉大な大自然の法則が、万物に平等に
作用していることを知るべきだ。その力に逆らったり、不平不満を言っても
迷いは深まるばかり。
小さな自我意識などさっぱり捨てて、咲く花の如く無心に生きれば、人生も
より豊かで爽快になることだろう。 あいだみつをさんの詩にもある。