禅の言葉に戻る  【百花春至為誰開】

■百花春至為誰開(ひゃっかはるいたってたがためにひらく)■

花に関する禅語にはいくつか有名なものがある。

「美しく咲き乱れる春の花はいったい誰の為に咲くのか」という問いかけ

一見なにげない普通の問いかけだが、実はとても奥深い心理を突いている

ここに書くまでもなく、花は誰の為でもなく、ただ無心に咲くだけ

良寛の詩に『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』とある

大自然に和して、ただありのままに咲くからこそ花は美しい

無心とは、心が無いという意味でなく【ありのまま、自然のまま】が無心

自然の法則のままに今この時をただひたすらに生きる。それが無心

ところが、悲しいかな人間には自我意識があり、無心に生きることができない

身勝手な期待・思惑を抱いて、あれこれ嘆いたり喜こんだりしてしまう

花を花たらしめている不思議にして偉大な大自然の法則が、万物に平等に
作用していることを知るべきだ。その力に逆らったり、不平不満を言っても
迷いは深まるばかり。

小さな自我意識などさっぱり捨てて、咲く花の如く無心に生きれば、人生も
より豊かで爽快になることだろう。  あいだみつをさんの詩にもある。

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