この語は大禅匠、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の
悟りの境地を表した、最高の言葉。
毎日いい日が続いてけっこうなことだ、という浅い意味ではない。
一般に私達凡人が、今日はよい日だと思う場合を考えてみよう。
天気が良かった・お金が儲かった・良いことがあったなど、そんな
基準で日々を判断するであろう。
しかし、これでは優劣・損得・是非に囚われすぎた考え方。
ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければならぬ。
日々是好日とは、そんな拘りや囚われをさっぱりと捨て切って、その日
一日を只ありのままに生きる楚々とした境地のこと。何か大切なものを
失った日であろうとも、ただひたすらに生きれば、全てが好日の意味。
好日の好は【好き】の意味ではない。積極的に生きる決意 の【よっしゃぁ】
がこの場合の "好" なのだろう。 禅では、過ぎ去ったことに拘ったり、
まだ来ぬ明日を密かに期待したりはせず、今この一瞬を精一杯に生きるのだ。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日にでもなれば、それは素晴らしい一日。